元々は愛の世界にいた。
なんでも叶って、いつでも幸せ。
だから、地球に、体を持って生まれてきて、
そうじゃない感覚を味わうことを楽しみにきた。
だから、幸せじゃない感情の時、実はそっちの方が「体験成功」になってるんだって話。
息子が小学校の体育の授業のプールを楽しみにしてる。
それなのに、プールカードを学校に忘れて、ハンコを押してあげられないから今日は見学。
楽しみにしてるプールに入れてあげたいけど、持ち物の管理ができるようになってもらわないといけないから、カードがないときは入っていいとは言ってあげられないと思った。
でも、楽しみにしてることをさせてあげたい気持ちから、そう言ってあげられないことに、私の方もがっかりした。
朝、息子を学校に送り出したあと、がっかりを味わっていた。
息子のおかげで、がっかりを味わってるんだなと思った。
一番下の娘が、お兄ちゃんについて保育園に行きたがった。
まだ入園していないから、保育園には行かない。
でも、真似したい、楽しそうでいつもついて行きたがる。
その瞬間がすぎてしまえばケロッとしてるんだけど。
朝のその瞬間は、行きたがってるのに行かせてあげてない、みたいな感覚になって、いたたまれない。
そこで、今度は無力感を味わった。
私は、泣いてる娘に何もしてあげられない。
本当はなんでもできるのに。
何もしてあげられない、という思い込みに、今成功してるのか、と思った。
朝、小学生の子供たちが、結構遅刻気味で出ていく。
いつも私はハラハラして、イライラしていた。
今朝、もしかして、と思ったこと。
子供たちがイライラさせてくれることで、私が私に気持ちが向くのを阻止してくれていたのかなって。
私が自分に集中しなくて済むように。
なんで私が私に集中しなくて済むようにしなきゃいけないかというと。
私は朝が苦手で、
起きられない自分を責めてしまう。
それに、起きてから、ワクワクすることもないと、今日の自分に価値を感じられていなかったのかも。
私は今日生きていても、誰にも価値提供できない、生きてる意味がわからない。
こんなにはっきり言語化したことはなかったけど。
なんとなく朝の嫌な気持ちに、今日は一生懸命向き合ってみた。
この辺は農家が多くて、朝から仕事してる人が多い。
そんな中で、畑に出ず家で呑気に過ごしてる自分に、自分が一番価値を感じていなかったし、責めていた。
本当は、いるだけで価値があるのに。
価値がない自分と思い込んでる。
これは、もう1人の本当の自分からしてみたら、大変迷惑な感情だったのだろう。
気づいていなかったけど。
そんなこと思わないで!って、一生懸命もう1人の自分に言ってたけど、聞いてくれない。
ずっと無価値観にフォーカスしてる。
だから、子供たちがそのもう1人の私のSOSをキャッチして、気を惹きつけてくれていたのかも。
朝目覚めた自分を祝福しないで、無価値観を叫んでいる自分。
そんなこと言わないで!って。
子供たちの、支度の心配や時間の心配をしていれば、私が私を攻撃する波動を出さずに済む。
子供たちが何も煩わせることがなければ、私は暇になって、自分攻撃し始める。
この世界に、分離して生まれてきたのは、それぞれの体験を楽しむため。
みんな大元は一つ。
そうすると、自分の存在価値は、体験を楽しむこと、自分の感覚を味わうことなのかなって。
ずっと、誰かの役に立つような行動をすることが、自分の存在価値だと思っていたと思う。
だから、何もできない自分、みたいなところに、罪悪感というか、無価値観を感じていた。
でも、大元が一つなら、目の前の誰かに何かをして喜んでもらう、というのが自分の存在価値ではないね。
それも自分だから。
その人はその人なりに、体験と感情を楽しんでるから、私が余計なことしなくていい。
私は、私が感じてることを精一杯感じることに集中すればいいんだろう。
大元にいた時の、全ては愛という感覚から、それを封印させて、ここにきたらしい。
ちゃんと愛を忘れて今まで生きてきた。
だから、がっかりしたり、怒ったり、ネガティブな感情を本気で感じてこられたんだと思う。没頭してた。
でも最近のYouTubeで、目覚めるとか、覚醒とかって聞くようになって、目覚めることにフォーカスしてきたけど、実はあえて「眠る」っていうのもやってきていたんだなって。
眠ることに成功したから、味わえた感情。
ジェットコースターに乗れたから味わえた恐怖感。怖いけど楽しいってやつ。
前にネットフリックスで見た「ソロ活女子」で、言ってた。
ジェットコースターやお化け屋敷の楽しみ方は、全力で怖がることだって。
怖い思いしたくて乗ったり、入ったりするんだから、怖がったもん勝ちだって。
しっかり景色見たり、セット見たり、思い切り叫んだり。
それで、あー怖かったって。
怖くないふり、平気なふりしてちゃ意味ない。
怖いからって、目瞑ってちゃ意味ない。
だったら、乗らなくていいじゃん。
入らなくていいじゃん。
ジェットコースターに乗るって決めて、乗ったんだから。
怖いを思いっきり体感、感じる。
お化け屋敷に入ったんだから、どんなに怖がる作りになってるのか、しっかり見て、お化けが出てきたら驚いて怖がって叫ぶ。
人間として、感情を味わうことができる生き物として生まれてきたから。
楽しい、嬉しい、幸せも味わうけど。
怖いとか、うまくいかないとか、イライラするとか、焦るとか、退屈とか、迷うとか、それを味わえてるってことも、味わってみたらいいんだろうな。
というか、それこそが味わうべき感覚というか。
今、自分は、焦ってるんだな。とか。
重いな、辛いな、とか。
部屋汚いな、掃除しなきゃ、でも面倒だな、の一連の感情の流れを味わうとか。
元いた場所では、重いとか感じられなかったんだろうから。
部屋が汚くなるとかもなかったんだろう。
時間感覚もなければ、焦りもないはず。
ということは、ここに肉体を持って生まれてきた時間だけ、味わえる条件。
だから、ここにいる間に、これらの感覚をもっと、楽しむイメージで味わってみればいいのかも。
重いって、こんな感覚。
暑い、寒いも、体はこんな感覚。
ネドジュンさんの右脳さんみたいに、自分にフォーカス。
自分が感じてること。
意識を自分、自分って向ける。
こんなところで、今朝の気付きでした。
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