今日は、ブレインアップデートのファスティング中です。
「食を断つ」ことを通して、これまでの自分の中毒的、依存的なものを断つことを目的としています。
つまり、お腹が空いてくるときに湧き上がってくる負の感情を、今までは何か食べて忘れたり抑えたりしてきたよね。
それを、何も食べずに浮上させ切って、向き合って、健全な態度を選択できるように改善しよう。
という期間だと思っています。
昨日の夕食を摂ってから、24時間経ちました。
家族が、朝食、昼食、おやつ、夕食を摂りました。
(今日は土曜日なので、子供たちがみんな家にいます。)
夕方になってきたら、お腹が空いてきました。
お腹が空いたな。
お腹が空いたな。
と、なんとなく、感情をゼロ化メソッドで解放していました。
パパが作ってくれた夕食の枝豆チャーハンが美味しそうです。
ぬか漬けも刻んで入っています。
3歳の息子が、ママのためにゆで卵を作ってくれました。
8歳の息子が、ママのためにカフェオレを入れてくれようとしました。
5歳の娘は、ママなんで食べないの?って聞いてきました。
「朝、みんなで、ご飯食べない約束をしたんだよ。」って答えたら、
「zoomの勉強のやつだね」と理解してくれました。
パパが、明日は何食べたい?って聞いてくれます。
みんなに愛されて、支えられているのをしみじみ感じて、幸せを味わっています。
さて。
チャーハンの入ったフライパンを眺めながら、
ゼロ化メソッドを続けました。
明日の復食は何を食べようかな?
体に優しいものを食べよう。
味わって食べよう。
食を大事にしよう。
こんなことを考えました。
何か作るときは、丁寧に、作れる幸せも味わいながら作ろう。
何を作ろうかな?
玉ねぎのスープにしようかな?
枝豆の炊き込みご飯かな?
こんなことを考えて、ふと思い出したことがありました。
私は「料理が苦手」
ということです。
しつけの厳しい親に育てられたので、一通りの家事はできます。
料理も、とりあえず食べられるものを作ることはできます。
ただ、作るのが遅いし、あまり美味しくない。
作る作業自体好きじゃない。
ここにも何か、自分で作った思い込み、勘違いが隠れていそうだなと思いました。
それではここから、その「料理が苦手」に向き合った記録です。
また、思わぬ感情が見つかって面白かったです。
「料理が苦手」という思い込み
年齢遡行
料理が苦手と思うようになったのはいつですか?
筋反射→8歳
8歳って、何があったかな?
小学2、3年生くらいかな?
ここでピンときた思い出がありました。
両親共働きだったので、小学校から帰ると自分で鍵を開けて帰宅。
夕方になると職場の母から電話。
ご飯炊いておいて、とか
お風呂洗って沸かしておいて、とか
お手伝いを言いつけられる。
ある日の電話で
「お味噌汁作っておいて。具材は任せるね。」
電話を切ってすぐ、私は取り掛かりました。
何の具材で作ろうかな?
確か、じゃがいもと玉ねぎのお味噌汁が好きだったので、それにしようと決めた気がします。
じゃがいもを洗って、皮を剥いているとき、母が帰宅しました。
一生懸命作業をしていた私に母がかけた言葉。
「まだできてないの!?電話した時すぐ始めなかったの?」
「ううん、電話切ってからすぐやったよ。今皮を剥いているんだよ。」
私は、じゃがいもの皮むきが難しかったから、真剣に、一生懸命やっていたと思います。
いい具材を選んだねって、褒めてもらえるかと思いました。
すぐ作り始めたことを褒めてもらえるかと思いました。
しかし、次の一言は違いました。
「遅い。あとは母さんやるから。代わって。」
ショックでした。
悲しかったです。
いじけたし、怒りました。
一生懸命やっていたのに。
私悪くないのに。
皮剥くの難しかったんだもん。
美味しいの作って喜ばせようと思ったのに。
今ならあの時の状況がわかります。
遅く帰ってきた母は、お味噌汁の他にもおかずを作ってくれようとしていました。
8歳の子供がノロノロやっていたら、狭いキッチン、邪魔ですよね。
母に悪気はない、むしろ、忙しい毎日なのに、毎日手料理を作ってくれていたことに、今なら尊敬と感謝ができます。
でも、私のこの表現から伝わると思いますが、あの時は怒りと悲しみしかありませんでした。
どこにもぶつけることもできず、吐き出すこともできずに、心に押し込めてきてしまったようですね。
自己否定セルフトークを見つける
自己否定セルフトークの資料をもとに、筋反射を取ると、1番で反応がありました。
自分で言葉を思い浮かべながら、感情を味わいます。
お味噌汁を作っておいてと言われて、おいしいお味噌汁を作って喜んでもらうことを望んでいた私は、お母さんたちにとっては全く重要ではないのです。
私がおいしいお味噌汁を一生懸命作ろうと思っていたことなんて、お母さんにとっては全く重要ではないのです。
お味噌汁の作れない私なんて、重要な存在ではないのです。
お母さんにとっても、この世の中にとっても、家族の皆にとっても、私自身にとっても。
私がいても何の価値もないのです。
私が作れなかったんだから、私には何の価値もないのです。
私が生きていても、世の中に与えるものなんて何もないのです。
私が家族の中に存在していても、家族に与えるものなんて何もないのです。
みんなに作ってあげられる料理なんて何もないのです。
もう二度と家族に喜んでもらえたと感じる事はないでしょう。
内側でひとつになったと感じることさえも。
それでも私は勇気に満ちたままでようとしています。少なくとも勇気に満ちたふりをしています。
料理ができるふりをしています。
でも心の奥底では知っているのです。
料理ができない私が料理をしていても何の意味もないということを。
どんなに一生懸命やっても、私が求めている、あの「ひとつである」状態が訪れることは決してないでしょう。
どんなに私が一生懸命料理をしても、私が求めている、あの「家族みんなひとつである」状態が訪れることは決してないでしょう。
私が料理をしていて求めていたのは、「家族がひとつである」という状態。私の味噌汁を囲んで家族がひとつになった、 私はあの料理を通して家族がひとつになったと感じたかった。
でも私には、あの料理を完成させることができなかった。
私の人間関係は、なんでも失敗する運命にあるのです。
私には家族をひとつにする力なんてないのです。
またまたとても大袈裟な文章になりましたが。
これだけ誇張して表現してみると、なるほどこれは悲しかったねって、感情をしっかり味わえました。
そして気づいたこと。
私はお味噌汁を完成させられなくて悲しんでいたのだと、ずっと思ってきました。
でも、違いました。
お味噌汁を自分が作ることで、家族がひとつになれることを望んでいた。
私が家族をひとつにできることを望んでいた。
家族がひとつになれることを望んでいたのに、私はそれに失敗した。
そこに傷ついていたのですね。
家族にとって、自分は価値がない。
重要ではない。
これには、この文章を味わうまで気づきませんでした。
あの時は子供だったから、手が遅くても仕方なかったよねって、いくらインナーチャイルドを癒しても、この深さまでの気づきは得られませんでした。
このブレインアップデートの自己否定セルフトークのワークは、抽象的な文章のようですが、私にはとても深い気づきが得られるものです。
家族に喜んでもらいたかっただけでなく、
家族がひとつになれる料理を作りたかった。
家族がひとつになることを望んでいた私。
それを深く味わって。
アファメーションを読みます。
私は成功することに賭けてみるだけ勇気に満ちています。
私は料理を通して家族がひとつになれるということに賭けてみるだけ勇気に満ちています。
私は自分の内側でもひとつになっているし、私が愛することを選んだ人たちとも打ち解けているのです。
私は自分自身とも料理を通してひとつになれるし、私が愛することを選んだ家族ともこの料理を通してひとつになることができるのです。
なるほどね。
料理って深いね…。
食べ物を食べるだけじゃなくて、それを通して家族がひとつになるっていうことを望んでいるんだね。
感情に気づき、味わったら、手放せる
深いところの感情を発見できたので、深く味わうことができました。
自分では、そこまで気づけませんでした。
子供の私が、家族がひとつになれることを望んでいたなんて、なかなか意識レベルでは気づけません。
ただ、このブレインアップデートで習った流れに沿って感情を感じて行った時、確実に「これだ!」と気づける瞬間が来るのがすごいです。
今回も、「これだ!」と感じました。
お母さんは、きっとあの時、ありがとうって言ってくれてたと思います。
でも、当時は伝える方もちゃんと言ったかどうか。
受け取る方も聞けていたかどうか。
だから、そんなに責任を感じなくて良かったと思います。
明らかに、勘違いです。
気づいたら、笑って手放せます。
おでこに手を当て、
今までよく頑張ってきたねって。
もういいよって。
あなたはちゃんと頑張っていたし、
お母さんもちゃんとわかってくれていたと思うよ。
そして、何より、私たち家族は、私のお味噌汁が完成してもしなくても、ちゃんとひとつだったよ。
今も仲良いもん。
私が料理できないことなんて、誰も気にしていないし、笑い話になってるくらい。
でも、私は、料理をそれだけ大事に思ってるってことだね。
料理を作ることで、家族がひとつになれるって、思ってるってことだね。
それだけ自分にプレッシャーをかけていたら、ママになった今、忙しいから、料理作るの嫌になっちゃうのもわかる。
適当に作るママとしての自分が許せないのかもね。
作るなら、ちゃんとしっかりやりたいのかもね。
でもそれも、みんなそこまで期待していないし、
私がどんな料理を作ったとしても、喜んでくれているよ。
私が愛することを決めた家族は、私のどんな料理でもひとつになっているよ。
だから、気楽に楽しんで、料理していこう。
苦手でやってこなかったなら、これからコツコツ練習していこう。
安心して不安を感じながら。
ひとつひとつ、今の自分にできることからやっていこう。
自分が自分を受け入れてあげて。
自分が自分を認めて褒めてあげよう。
それはちゃんと、家族に伝わってる。
私が楽しんでいることが重要。
私が私の中でひとつになっていることが重要。
あなたも、苦手なことに向き合って、手放しませんか?
ここまで、私の「料理の苦手意識」の解放をお読み下さり、ありがとうございました。
読んで下さっている方の中にも、何かしらの苦手意識があるのではないでしょうか。
それは、見ないふりをしていても生きていけます。
私も、料理が苦手でも結婚できたし、旦那がやってくれています。
幸せに生きています。
でも、今回解放したことで、自分の思わぬ感情を発見できました。
私が、料理を通して家族がひとつになれるということを期待しているといことです。
私の深いところの意識で、そう思っていたことを知れて、なんだかホッと嬉しくなりました。
あの時家族を大事に思っていたからこそ、傷も深かった。
今も家族を大事に思うからこそ、自分に余分にプレッシャーをかけてしまっていた。
そして、家族を大事にしたいと思う自分を愛おしく感じました。
私の中の愛に触れられました。
「愛と感謝以外は全て幻想」
国際ブレインアップデート協会会長、田仲真治先生がいつも言われていることです。
幻想から目覚めてみたら、とてもとても大きなギフトが隠れていました。
ギフト、受け取れて嬉しかったです。
苦手意識をもつ方が、そこから大きなギフトを受け取れれば、そこからの人生が、もっと愛と感謝が深まるだろうということを、今回身をもって実感しました。
言葉だけではなかなか伝わらないかも知れません。
私は、このブレインアップデートの中の感情を解放するというサービスを、ココナラで出品させていただいております。
手法はとてもシンプルで、筋反射もとりながら進めていくので、本人が納得しながら進めていけます。
このことを多くの人に体感していただきたいと思っておりますので、気になった方は是非お申し込みいただければと思います。
リフトアップセラピーで感情をニュートラルに戻します 顔の筋肉に働きかけながら、ネガティブ感情を解放します。
また、有料のサービスは抵抗ある、という方は、まずはブログ読者コミュニティ公式ラインへコメントをいただくだけでも嬉しいです。
私の体験で、お伝えできることがあったらお返事させていただきます。
それでは今日はここまでです。
ありがとうございました。
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