佐藤美那
4人の子育てをしながら、農業をしていました。日々のイライラNI耐えるのが苦しくなり、ブレインアップデートを学びました。脳と心と体をアップデートしたことで、日々イライラを手放すことができるようになりました。
今は、大好きな動物の勉強も始めることができ、アニマルコミュニケーションもできるようになりました。
このブログでは、イライラを手放して楽しく生きられるようになってきた私の方法を記録しています。

外反母趾は「恐れ」「自分の進む方向」

外反母趾

国際ブレインアップデート協会からのメルマガで、「外反母趾」を扱っている動画を見ました。

私は、中学生の時、部活を頑張っているときに外反母趾が痛くなった経験がありました。
そのとき、足が痛いのもなかなか治らなかったし、親との間で心の悩みも抱えたので、興味深くその動画を見ました。

外反母趾の説明で、田仲真治先生が言われていたのは、
「恐れと関係している」ということと、
「親指がまっすぐ前を向いていないから、自分の進みたい方向に進んでいない」ということでした。

顧問の先生がとても怖くて、私は毎日怯えていたことと、
直感に従わず、思考で決めたことが思い当たりました。

今日は、その時のことに向き合ってみたので、その記録です。

目次

直感に従わず、思考で決めたソフトテニス部

中学校の時は全員部活をやることになっていた。
何部に入るかなかなか決まらなかった。
直感は、吹奏楽部に入りたかった。
でも思考で、運動部にしておいた方が体作りにいいかなと思った。
運動部の中では、直感でバスケ部がいいかなと思った。
でもまた思考で、
「お母さんとお姉ちゃんはソフトテニス部に入っていたから、私もソフトテニス部に入っておけば、大人になって一緒にテニスが楽しめるようになるかもしれない。」
と思い、結局ソフトテニス部に入ることに決めた。

私は直感で、
「吹奏楽部がいい」
「バスケ部がいい」
と思ったのに、
それには従わず、
思考で
「運動部がいいかも」
「ソフトテニス部にしておいた方がいいかも」
と変えたのでした。

顧問の先生が怖かった

顧問の先生に、私はいつも怒られていました。
「声が出ていない」
「足が動いていない」
「ミスするな」
いつもそう言われては、
「走ってこい!」
と怒鳴られる。

必死に走って帰ってきても、またすぐ厳しい練習。
うまくできない。
失敗する。
怒られる。
また走らされる。

真面目にやっていたし、一生懸命やっていた。
でも、萎縮してしまうばかりで、全然楽しくできなかったし、のびのびなんてできませんでした。
試合にもなかなか勝てず、親にも恥ずかしくて見に来てもらいたくありませんでした。

自己否定のセルフトークを見つけ、リフトアップセラピーを行う

その時の怖さ、苦い思い出を思い出して、ブレインアップデートのリフトアップセラピーメニューの中の「8つの自己否定リスト」で筋反射を取ってみました。
しっかり感情を浮上させると、しっかり筋反射も取れました。
2番で反応がありました。

自分の顔に両手を当て、脳内で繰り返されているネガティブなセルフトークを自分に読み聞かせます。

あなたなら、どうすればあのひどい練習、辛い痛みに感謝できますか?
どうやったら、絶望しか与えてくれない関係を認めることができますか?
先生は私に絶望しか与えてくれなかった。そこにどう感謝しろって言うんですか。
私は何でも与えてきました。走れと言われれば走ったし、声を出せと言われれば声を出したし、何でもやってきた。
でも見返りに私が受け取ったのは、冷たく荒涼とした麻痺したような反応だけなのです。
私がどれほど練習に耐えてきていても、見返りに私が受け取ったのは、先生の冷たい態度。先生の麻痺したような反応。
褒めてもくれず、認めてもくれず。
死に物狂いで調和を求めていた私にとっては、これは最大の苦痛です。
褒めて欲しかった私にとって、褒めてもらえないことは最大の苦痛。
認めて欲しかった私にとって、認めてくれないことは最大の苦痛。
上手くなることを求めていた私にとって、上手くなれないことは最大の苦痛。
試合に勝つことを望んでいた私にとって、試合に勝てないことは最大の苦痛。
先生と調和すること、皆と調和することを求めていた私にとって、それが叶わなかったことは最大の苦痛です。
でも今となっては、私がこのようなことを得ることは決してないということがわかりました。
そんなことを起こす力は私にはありません。決して。
今となっては、私がみんなに褒められたり、認められたり、強く上手になって試合に勝つことはできなかったということがわかる。
私は褒められたり、認められたり、そんな力は私にはなかった、決して。
部活を辞める以外に私が選ぶことができる事はただ1つ、あの人たちと同じように心なくなることです。
先生や周りの友達のように、褒められたり、認められたり、上手くなりたいと思わなくなることです。
私が感じるままにしていたら、また私が傷つくことになるとわかっているから。
褒められたいとか認められたいとか勝ちたいなんて思ったら、私が傷つく。
多分、今傷ついているよりももっとひどく。
だから、褒められたいなんて思っちゃいけないし、認められたいなんて思っちゃいけないし、勝ちたいなんて思っちゃいけないんだ。もっと傷つくから。

ここまでのネガティブトークは、原文を元に私がオリジナルで言葉を入れながら作文しました。
だいぶ誇張しました。
このことをしっかり味わいます。
私はこんなことを頭の中で繰り返していたのか。
ずいぶん過激だけど…でも納得。
上手くなりたい、試合で勝てるようになりたい。
それだけじゃなくて、先生に褒められるかな、認めてもらえるかな?
そう期待してずっと応えてきたのに、期待する反応はもらえなかった。
期待した分、傷つき、傷つき、とうとう傷つかないようにするために心を閉ざしたのでしょう。

このあと、顔に両手を当て、リフトアップでアファメーション、自分を肯定します。

自分のネガティブなセルフイメージ、セルフトークを言語化したことで、その感情にしっかり向き合うことができました。
あの時はそう感じていたんだな。
辛かったな。
悲しかったな。
怖かったな。
それをしっかり感じていると、ふっと、それが気にならなくなった瞬間がありました。

しっかり感情を言語化できる、ブレインアップデートのリフトアップセラピーがすごいなと、自分で実感しました!

他人の期待、自分の期待

さて、ところで。
ネガティブトークに納得はしましたが、しっかりあの時の感情を味わってみて、気づいたことがありました。

私は、先生に走れと言われれば走ったし、声を出せと言われれば大声を出しました。
怒られないようにするために、先生の言うことにはなんだって従いました。

しかし、先生から返ってきた反応は、とても私が満たされるものではありませんでした。
冷たく、寂しい言葉と態度でした。

そこでふと思いました。
他人の期待に応えていても、それは他人の価値観だから、自分の満足のいく反応が返ってくるわけない。
先生の期待に応えても、先生の価値観での反応が返ってくるだけ。

先生の期待に応えるために行動していたのです。
自分の期待には、全く応えていなかったのです。
自分が
「吹奏楽部に入れ」と言っても聞かず、
「バスケ部に入れ」と言っても聞かず。

私は、自分の言うことには何一つ答えていなかったのです。

そのことに、全く気づいていませんでした。

人の期待に応えて、他人から言われることには従って、
自分の期待は無視して、自分に言われることには従わなかったのです。

これが、私が満足できなかった原因だということに、初めて気がついたのです。

同じパターンの繰り返し

どの場面でも、私はこのパターンを繰り返しています。

お母さんに言われるから、エレクトーンの練習をしていた。
学校の先生がテストを出すから勉強していた。
お父さんに怒られるから、ご飯を急いで食べていた。

自分が好きだからエレクトーンを練習していたのではない。
知りたいことがあるから楽しんで勉強していたのではない。
食事が楽しいからパクパク食べていたのではない。

私は常に、誰か他人の期待に応えるために行動していました。

だから、エレクトーンの練習をしても、お母さんが褒めてくれるかな、と期待していました。
テストでいい点数を取ったら、先生が褒めてくれるかな、と期待していました。
ご飯を早く食べたら、お父さんには怒られずに済むかな、と期待していました。

でも、お母さんは、褒めてくれるどころか、もっともっとと練習量を増やしました。
先生は、褒めてくれることもあったけど、ただそれだけ。なんとなく満たされない。
お父さんには怒られない、でも食事が辛い。

人の期待に応えて行動していても、自分が満たされることはなかったのです。

その時、自分の言うことは全然聞いてあげていなかったのです。

大人になってからも、ずっと私は人の期待に応えることを行動の基準にしていたことに気づきました。

頑張ってやれば人が認めてくれるかもしれない。
いいお母さんになれば、自分の親や義理の親から認めてもらえるかもしれない。
講座を受けても、頑張って成果を出せば、先生が褒めてくれるかもしれない。

人が私に何を期待しているのかを常に考えていました。
そしてその期待に応えられそうだったら頑張る。
期待に応えられないと思ったら、やる気を無くす。
期待に応えたと思ったのに、思ったような反応が返ってこなかった時、がっかりしたりやる気が無くなったりする。

自分のこの、がっかりしたり、やる気が急に無くなったり、他人への怒りだったりが、なぜこのような状態に自分がなるのかがずっと不思議でした。

でも、この強烈な自己否定セルフトークを知ったことで、明確になりました。
私が自分軸でなく、他人軸を採用していたことが。

カット!お疲れ様でした! 次のドラマへ

今回は、「外反母趾の痛み」から、
中学校の時の部活の悩みを解放しました。

先生が怖かったのは、そもそも自分からやりたいことを選択しなかったから。

自分が選択したこと、好きなことをやるときは、
自分の内側からエネルギーが湧いてきて、
意欲的に練習したり、
意欲的に指導者の指示を聞けたり、
うまくなるための努力を楽しめるでしょう。
自発的に工夫するでしょう。
自分で挑戦して、質問もするでしょう。

誰かの期待に応えて行動を選択すると、
内側からエネルギーが湧かず、
言われたことをこなし、
褒められることを期待し、
認められることを期待し、
思ったような反応が得られないと言って悲しむ。
相手に怒り、恨む。
そのことに気づかないと、
相手と喧嘩するか、
自分の心を閉ざす。
その人を避ける。

自分が他人軸で行動していることに気づいていませんでした。
今回そのことに気づきました。

もうこの生き方は終わりにします。
カット!
お疲れ様でした!

次のドラマは、私が私の声に従って生きる。
私の期待に応える。

ブレインアップデートでは、こうやって、これまでのドラマに気づいたら、悪かったもの、無くさなければならないものにするのではなく、「ああそうだったんだ」と言って終わりにするだけでいい、と言われています。
ソフトテニス部に入ったからこそ、辛かったけれど体力がつきました。
テニスもできるようになりました。
ちゃんと恩恵はありました。
そしてこの学びにつながる経験になりました。
エネルギーの総量としては、陰陽同じだけありました。
全て完璧だったのです。

これで、他人を怖がっていた自分を手放すことができると思います。
これから新たなステージが楽しみです。
今まで、自分の声は、人からなんて思われるだろうと気にして、聞こえないふりをしてきましたから、それに耳を傾けるのは怖いです。
自分の直感に従って行動するとどうなるのか、怖さでいっぱいです。

そんな時はまた、ブレインアップデートで教わった「ゼロ化メソッド」で安心して不安を感じながら、その都度感情に丁寧に向き合っていきたいと思います。
そうすればまた、今日のような開放が得られると思います。

ブレインアップデートを学んだおかげで、自分自身をこのように癒してあげられるようになって、すごいことです!

いつもブログを読んで下さっている読者の方も、もし共感していただけたら、コメント下さい。

私の経験が、どなたかのお役に立てたら嬉しいです。
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今日も最後までお読みいただきありがとうございました。

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