宇宙さんが私の願いをちゃんと叶えてくれていたことが判明した事例について。
最近、私の願いって、全部宇宙さんか神様かわからないけど叶えてくれていたことがわかってきたところです。
いいお母さんをアピールしたかったがために、息子がバイキンマン役を演じてくれて、私にアンパンマン役(もしくはセーラームーン役)を演じさせてくれていたことがわかりました。
自分なんてお母さんの役には立てないんだという勘違いから自分を罰することを決めた私に対して、お母さんが「それなら自分じゃなくて私を憎みなさい」と言わんばかりに悪者役を演じてくれていたこともわかりました。
私はそんなオーダーを出したことなんて気づきもしないで。
皆んなが私の役を引き立たせるために演じてくれているなんて気づきもしないで。
周りが悪い、周りが変わりさえすれば。
と言って悩んでいたのです。
今日、もう一つ、ある人たちの演じてくれていた役割に気づくことができました。
ちゃんと、私がオーダーしていたことに気づいたのです。
気づけば、終わらせられる。
よかった。
さて、その人物とは…
一緒に住んでいる、義理の父と母です。
私の子供にとってのおじいちゃんおばあちゃんです。
これまでの悩み
小学校へ行っている息子への声掛けに、なんだかずっとモヤモヤしていました。
そういえば、これだけではなくて、子供達と接する姿で、ことあるごとに気になっていたのを思い出しました。
最近はあんまり気になってしまうようになったので、距離を置いていました。
嫌いになりたくないから、嫌な場面を見なくて済むように、接しないようにしていました。
私たちは、一軒家の2階に住んでいます。
おじいちゃん世帯は1階。
玄関は同じ。
風呂キッチンはそれぞれ。
息子が朝、階段を降りていくと、おじいちゃんとおばあちゃんは、リビングから必ず出てきて、おはようと行ってらっしゃいと声をかけてくれています。
とっても優しいし、腰が軽いし、元気で孫思いの、素敵な人たちなのです。
人間的に、とっても尊敬しています。
それなのに、なぜそんな微笑ましい光景にモヤモヤしてしまうのか…
こんな自分にずっと自己嫌悪で、私ってなんて心が狭いんだろうとずっと悩んでいました。
おじいちゃんおばあちゃんが私の息子に声をかけているのが、なんだか気になって気になって、だんだん嫌になってきて、すっごく嫌になってきて、見たくもない、聞きたくもないという状態に…
困ったなあ、困ったなあと思っていました。
でも、最近、どうやら私の周りで起きていることは、私が望んだことが叶っているらしいと気づいたところでした。
これは何を私が願ったんだろう?
と考えていました。
それがわかりました。
おじいちゃん、おばあちゃんは、私が子供たちを「心配する心」を映し出して、フォローしてくれていたようでした。
私は子供たちを「心配」していました!
これを見つけたのです。
おじいちゃんばあちゃんの言葉がけや行動で気になっていたもの
- 子供たちがトイレに行くというと、ついていこうとする
- 子供が転ぶと助け起こして砂をはらってあげる
- 子供が小さい頃、よちよち走って柱に頭をぶつけると、ぶつけたところに息を吹きかける(おまじない?)
- 手を洗うと自分が持っているタオルを差し出してくれる
- 自分のタオルで子供の汗を拭いてくれる(このあたりは私の生理的な許容範囲の問題?)
- 息子が朝小学校に出かけようと玄関まで降りていくと、昨日はちゃんと寝たかとか、朝ごはんは食べたかとか、今日は学校で何があるのか聞くとか、今日着ている服がかっこいいとか、いろんなことを聞く。
- 息子が小学校から帰ってくると、暑かったかとか、疲れたのかとか、荷物は重いかとか、宿題が多いかとか、今日も友達と遊ぶのかとか、色々聞く。
- 傘とか長靴とか外用おもちゃとか、いつの間にか買ってある
- どこかへ出かけようとすると、どこへ行くのか、何時に帰ってくるのか、何をしに行くのかなどを、私たちには聞かないけれど子供達に聞くこと。
- 兄弟喧嘩を見ると、止めに入る。
- 畑作業に出る時、子供たちを誘う。
書き出してみると、
「なんでこんなことが気になるの?」
「優しいじゃん!」
「可愛がってくれないよりいいじゃん!」
って言われそうだし、私だってそう思うものばっかり。
でも、これが嫌だったの。
なんで嫌だったかというと。
私がこれを見て、どんな気持ちになっていたかというと。
「私がお母さんとしてちゃんと見ているのに、足りないって言われているの?」
「私が試練もサポートもどっちも完璧にやっているのに。」
「私が子供たちに一人でやらせたいことを、勝手に手伝われたら、子供が甘えるようになっちゃう」
でも、なんでこんなにまでしてくれていたのかというと、
私が子供達に対して心配していたことのフォローになっていた!
ということに気づいたのでした。
私は、子供をちゃんと育てたいと、強く思っていました。
でも自分の子育てに自信はない。
色々調べながら頑張っていたけれど。
常に、「やらせたいこと」と「それが正しいことかどうか」で揺れていました。
私の育て方で、子供がちゃんと育つかな?って心配していたのです。
おじいちゃんおばあちゃんが私の心の中の心配を代わりに表現してくれていたもの。
例えば、
私は子供の食について心配しています。
ちゃんと食べさせなきゃ。
栄養面、量、経験、マナー。
でも、楽しく食べたいからあまり口うるさくも言いたくない。
そう思っているから、
「ちゃんと食べたか?」
「おしゃべりしないで食べようね」
「お!いっぱい食べてるね!」
って、私の口から出ない代わりに、心配の方を言ってくれている。
私は子供が転ぶと、怪我を心配します。
でも、自分で起きられる子になって欲しいから手を出しません。
そうすると、私の代わりに手を出してくれます。
私が小学校に行く息子のあれこれを心配しています。
暑さ寒さ。
荷物は重くないか、持ちやすいか。
宿題はちゃんとできているか。
お友達と仲良くできているか。
こう思ってはいるけれど、直接言ったら口うるさいから言わない。
そうすると、私の代わりにそれらをぜーんぶ聞いてくれる。
子供がトイレに行けば、私は
「自分でできるかな?」
「汚さないかな?」
「見に行った方がいいか?自分でさせた方がいいか?」
って心配するから。
心配するけど、一人でさせた方がいいよねって、ついていかないから。
代わりにちゃーんとついていって、丁寧になんでもやってあげてくれているってこと。
お出かけする時って、私はいつも、
子供たちを連れて安全に行ってこられるかなって心配しているんだと思う。
明日は学校と保育園があるから、疲れが残らないように帰る時間を気にしなくちゃって思ってる。
行く場所も、子供たちが安全に行ける場所かな?楽しめる場所かな?って心配というか、気にしている。
子供中心に考えている。
これだ。
これを、私の代わりに子供に聞いてくれていたんだ。
どこに行くの?
何時に帰るの?
楽しそうだね。
ちゃんとご飯食べた?
ちゃんとお昼寝した?
元気?
こうやって、私が気にしていることを聞かれる。
気にしているのに、直接聞かないから。
私の中に迷いがあるから。
子供に優しくしたいっていう気持ちと、子供を強く育てたいっていう気持ち。
それで、一人でどっちもはできないから、私がかけられない言葉をかけてくれていたんだ。
最近、私はブレインアップデートという講座を学んでいます。
講座生同士で勉強会をしています。
自分でブログやYouTube発信も始めました。
自分のことが楽しくて、子供のことを心配している時間が減りました。
気づいたら、子供は勝手に朝起きてくるし、ご飯食べて支度して、「行ってきます」って声かけて出ていきます。
私は、
「名札つけたの?」
「遅れないように行きなさい」
「歯磨きして!」
「服はそれでいいの?」
なんて声かけしていたけれど、それをしなくなりました(笑)
自分に集中しているというのもあるけれど、
アドラー流子育てをブレインアップデートの皆んなで勉強して、
適切な行動、不適切な行動というのを知ったのもあります。
勇気づけの言葉がけ、勇気くじきの言葉がけ、ということも知りました。
こんな感じで子供と私が接するようになったら、最近ふと気づいたのです。
階段の下でおじいちゃんおばあちゃんが息子にかけている言葉が全く気にならなくなっていた。
子供たちを信頼しています。
この子たちは、自分のことは自分でできる。
全てのものには陰陽両面がある。
忘れ物をしたら忘れ物をしたなりの学びもある。
遅刻したら遅刻したなりの学びもある。
喧嘩したら喧嘩したなりの学びもある。
悪いことだと決めつけて避けようとしないで、両面あるということを信頼して安心して、全てを受け入れようと決めたら。
子供たちを丸ごと受け入れる、おおらかな気持ちで見られるようになってきました。
存在そのものがありがたくて愛おしい。
そんな気持ちかな。
私がマイナスの側面だけを避けようとして何かをしてあげる必要はない。
プラスの側面だけをもたらそうとしてやってあげる必要はない。
起きる全てを受け入れる。
思ったようにいかない時は、思った以上のことが起きている。
それを、天の計らいというようです。
子供たちに、心配のエネルギーを向け続けることを、手放せます。
気づけてよかった。
ありがとうございます。
コメント
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[…] でもこの件に関しては、前回の記事に書きましたが、おじいちゃんおばあちゃんが私の中の「心配」を表出して見せてくれていた上に、それをフォローしてくれるという形で行動に表してくれていた、ということがわかりました。 […]