佐藤美那
4人の子育てをしながら、農業をしていました。日々のイライラNI耐えるのが苦しくなり、ブレインアップデートを学びました。脳と心と体をアップデートしたことで、日々イライラを手放すことができるようになりました。
今は、大好きな動物の勉強も始めることができ、アニマルコミュニケーションもできるようになりました。
このブログでは、イライラを手放して楽しく生きられるようになってきた私の方法を記録しています。

心配ってエネルギーヴァンパイアになっちゃってる。心配する⇔されるの共依存関係かも。信頼のエネルギーに変えましょう!

心配

心配すると、
自分の筋反射は強くなり
相手の筋反射が弱くなることを知りました。

私は人を心配することで
相手のエネルギーを奪ってしまっていたのです。

衝撃…

私は子供たちを心配しています。

怪我したら可哀想。
勉強ができなかったら可哀想。
健康を害したら可哀想。

宿題を忘れないよう声をかける。
遅刻してお友達に迷惑をかけないように声をかける。
お友達と仲良くできるように、叩いちゃいけないとか、貸してって言えるようにとか、教えてきた。
虫歯になっちゃ可哀想だから、一生懸命気をつけてきた。

でも、全ての物事には、陰陽両面が同じだけ存在する。

「かわいそう」は存在しない。

かわいそうと言って心配することで、
実は「いいお母さん」になろうとしていただけ?

人を心配することで、
実は自分の課題から目を背けていただけ?

そんな意識はない。
心配がエネルギーヴァンパイアになるなんて知らなかったから。

筋反射で視覚化できたから。
「やめよう!」って思えました。

知らないで、良かれと思ってしているだろうな。
知ったから、知らせよう、私は。

心配のエネルギーを向けるのではなく
信頼のエネルギーを向ける。
それを心がけようと思います。

ところで。
私は自分の親から、心配をたっぷりされて育ちました。

心配だからあれしちゃいけない、これしちゃいけない。
心配だから、ああしなきゃいけない、こうしなきゃいけない。

心配によって行動を制限されてきたと感じています。

心配されることが大っ嫌いでした。
親だから子供の心配をするのは当たり前だと思ってきたけれど。
心配なんてしてくれなくていいと思ってきました。
心配してくれるのはしょうがないとしても、行動制限はしてほしくないなと思っていました。

そのうち、自分が何かしようと思っても、
「心配かけちゃ悪いな」と思って、自分が自分に行動制限してしまうようになっていたと思います。

自分が子供を持ってからは、子供を心配することはむしろ必要なことだと思うようになりました。
子供の安全を守らないと、すぐ怪我をする。
命の危険もある。
大人は知識と経験があるから、子供を守ろうとするのが当たり前。
心配の9割は起こらないと聞いたけれど。
何かするたび、自分の経験上の怖かったものと結びつく。

指挟みそう。
草で手を切りそう。
目にぶつかって失明しそう。
喉をついて怪我しそう。
振り回して人に当てそう。
車に轢かれそう。
迷子になりそう。
お店のもの壊しそう。

子供の好奇心を知っているから。
どこまで安全を守るべきか。
どこまで自由にさせるか。
ずっと悩んできました。

自由にさせていれば、怪我をします。
健康に悪いとわかりきっていることもします。
泣いたり、痛い思いをしたり。
病院に救急で連れて行ったこともある。
大きな怪我になったから。
傷が残りました。
人に迷惑もかけます。
好奇心のままにしておいて、私が怖い思いをたくさんしました。

ブレインアップデートを学んで、認識が変わっていきました。
親が私を心配してきたと思っていたけれど。
実は、子供の頃の自分が、親にそうするよう仕向けていたのかもしれない。
全ては自分がさせていることだと学んだから。
鏡の法則だと知ったから。

親に心配してもらうことで、注目を引いていたのは私だったかもしれません。
心配してほしくないと言いながらも、心配してもらうことで繋がりを感じていたのかもしれない。

心配させる
心配する
共依存の関係。

信頼し合う関係
健全な関係に変えていけばいい。

大丈夫だよ。
怪我しても、大丈夫だよ。
いたいのいたいのとんでけーって。
私が信頼のエネルギーでいられたらいい。
子供も安心する。

自分の納得する理由をつけて、子供の好奇心を萎ませないようにしたい。
自分の経験から判断して、未来を決めつけて、子供の行動を制限したくない。

思ったようにいかない時は、思った以上のことが起きていることを信頼する。

未知のことが起きた時は、自分が成長する機会が訪れていることを信頼する。
自分がそこから成長することを、信頼し、楽しむ。
自分が自分の成長を許す。

これを知って。
今日実験したこと。
私が怖がっていることの一つ。
怪我すること。

試しに、自分で怪我してみようかなって。

怪我ってあまりしたことないから。
怪我したら痛いんじゃないかって。
自分の頭で勝手に怖さを増大させているだけかも。

怪我しても、大したことないかもよ。
案ずるより産むが易しかもよ。
自分に言い聞かせる。

そう思っていたら、我が子(赤ちゃん)に、指を持たれました。
なんでも口に入れるお年頃。
(先日1歳になりました^^)
今までは、齧られると痛いと思って、口に入れられる前に引き抜いていました。

今日は、そのままにしてみました。
歯は下に2本。

意外と、歯ではかじらないんだな。
横の歯茎で齧ってる。
しかも別にそんなに本気ではかじらないんだな。

痛くもないし、可愛いだけ(笑)

指を掴まれる
→かじられると思い込む
→怖いを増大
→かじられてもいないのに指を引き抜く

自分の頭の中で、勝手に怖さを増大させて行動制限していることって、実はいっぱいいっぱいありそうと思いました。

怪我しても大丈夫。
怪我しないかもしれないし。
怪我も大したことないかもしれないし。
大したことあっても、なんとかなる。
陰陽両面同じだけ存在する。

こう思って行動したら、世界がひっくり返って見えそう。
少なくとも、自分の子供ですら認識変わりました。

家中、心配のエネルギーで集めたものだらけ、というのも気づきました。

今日、心配について認識を改められてよかったです。

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