息子のバスケの試合で、山形県山形市のホテルサンピア山形に家族で宿泊しました。
6人でお泊まりに来られて、いい思い出になりました。
お部屋での気づきについて書きます。
和室が精神教育に与える影響を感じました
お部屋は和室でした。
畳の上にお布団が敷いてありました。
子供たちは、お布団が並んでいる様子に喜んではしゃぎました。
来られてよかったなって、嬉しくなりました。
障子を破かないように
赤ちゃんが、障子に向かってハイハイして行きました。
私は、手をかけて破いてはいけないと、赤ちゃんの向きを変えながら見ていました。
3歳の息子が、それなら開けておこうと気を利かせてくれて、障子に手をかけました。
でも、紙の部分に手をかけて障子を開けました。
穴が開かなくてホッとしましたが、私はハッとしました。
この子たちって、障子を開けたことがないかも…
家の和室には、障子のような、明かりの入る作りになっている窓があります。
見た目は、外側の透明の窓の手前に、紙の障子のように白いサッシがあります。
でもそれは、ガラスのような、硬い素材でできています。
ぶつかっても、ものが当たっても、壊れないので、日常生活をする上ではとても便利。
でも、ここのホテルのお部屋には、本物の紙の障子が、部屋と縁側のような場所の区切りに使われています。
窓の内側にも使われています。
布団が当たっても穴を開けてしまいそうだし、外の景色を眺めようと子供が触っても、穴を開けてしまいそう。
私は、そこで初めて、子供に障子の説明をしました。
これは、紙でできているんだよ。
枠は何でできているかな?
そうだね、木だね。
これを開ける時、紙のところを触ったらどうなっちゃうかな?
そうだね、破けちゃうね。
じゃあ、どこに手をかけて開け閉めしたらいいかな?
こうやって子供とじっくり障子を観察して、開け閉めの仕方を考え、お部屋での行動についても考えました。
襖にぶつかって音がなった
布団の上ではしゃいでいた子供たち。
押入れの襖に足がぶつかりました。
ドーンという音が鳴りました。
あ!っという顔をしている子供たち。
いつもの部屋のドアにぶつかるのとは違う音。
なんとなく、壊れちゃいそうな、穴を開けてしまいそうな音。
気をつけなきゃ!
子供たちが、自発的にそう気付いた瞬間だったように思いました。
浴衣がはだける
備え付けの浴衣を着ました。
民踊を習っているので、浴衣を着たことはある子たちです。
でもそれは、踊る時、かしこまっている時でした。
お部屋で、浴衣を着て遊ぶと、はだけて、解けて、とても着てはいられません。
この姿を見て、浴衣とか、和装を着ると、自然と立ち居振る舞いがピンとするのだな、ということを感じました。
着物がはだけないようにお淑やかにする。
足は自然と閉じる。
座り方も正座。
着る物が和装だった時と、洋服になった今、立ち居振る舞いそのものが変わってしまったことにも気付いていないのだな、と感じました。
昔の日本人としての精神性が失われている
障子は、子供が触ると破けてしまうから、不便だなと思ってきました。
明かりが入るという意味では、レースのカーテンでもいいだろうと思っていました。
押入れと襖という作りも、布団の出し入れで破かないよう苦労した思いがあったので、クローゼットが楽だなと感じていました。
でも、「丁寧に暮らす」という生き方ができるのは、和室なのかなと思いました。
急いで窓を開け閉めするから破けちゃう。
いやいや布団を出し入れするから乱暴になっちゃう。
朝の朝日に感謝しながら障子を開けられたら。
布団に感謝しながら出し入れできたら。
それだけで、動きは丁寧になり、紙が破けることもない。
また、そんな思いで物に接していれば、例えば季節の移り変わりで、紙を模様替えで貼り替えるなんていうことも、楽しめるのかもしれない。
なんだか、いつも、ずっと、忙しい忙しいで生きているから。
感謝するとか。
味わうとか。
愛でるとか。
といういう時間が失われていたのだろうな、と感じました。
和室で一晩、子供と過ごしたからこそ、感じたことでした。
私一人ではね、暴れたりしないから気づかなかった(笑)
子供がいつも通りヤンチャに過ごしたからこそ、そんな気づきがありました。
ブレインアップデートで、アドラー流一瞬で心を開く聴き方を学んでいます
今までの私だったら、このお部屋に宿泊するとなったら、子供たちにどう接しただろうと思いました。
今までだったら、
「暴れないで!」
「できないならもう帰るよ!」
「ダメって言ってるでしょ!」
こんなところでしょうね(笑)
今は、アドラー流子育てや、アドラー流心を開く聴き方を学んだので、
「子供がなぜ興奮しているのかに耳を傾ける」
(それは非日常だから当たり前)
(家族で旅行に興奮してくれて嬉しい)
「普段通りの遊び方をしているだけ」
(ありのままを受け入れる)
(私が、ホテルだからっていうことで緊張しているだけ)
「勇気くじきの言葉がけをしても伝わらない」
(ダメ、とか否定では、何をどうすればいいのか伝わっていない)
「勇気づけの言葉がけをする」
(障子とか襖は紙でできていることを確認する)
(会話をしながら、子供たち自身が大事に使いたいと思えるようにする)
こうやって、丁寧に時間を使い、言葉をかけました。
子供たちにとっては、非日常の楽しさを味わい、和室の良さも噛み締めた時間になったと思います。
ちょっと窮屈だったとは思いますが、変に圧迫された感じより、丁寧に物に接する姿が見られたように感じました。
(圧迫された後の子供たちは、あとで爆発しますが、そういう圧迫感ではなかったように思いました。)
和室の面倒臭さより、良さを知りたい
子供の頃は、和室って面倒くさいとしか思っていませんでした。
でもそれは、忙しさから良さを教えられていなかったのかもしれませんね。
また、和室があるのが当たり前だったというのもあったかもしれません。
今の家は、新しく建ててくれた物です。
住むのに便利なようにと、一生懸命考えて建ててくれたもの。
だから、とにかく便利な家です。
暮らすのに快適。
だから、不便なことはない。
困っていることはない。
でも今回、子供たちに、丁寧に暮らすということを、少し教えられたような気がして、少し考えが進歩しました。
また、障子で部屋を区切ったとき、上の欄間で空間がつながっているのを感じました。
障子で視界は遮られている。
でも、音や気配は感じる。
完全に区切られ切っていない。
繋がりを感じる。
こんな感覚を味わいました。
和室や和装が人格形成に与える影響を知りたいなと思いました。
不便だと感じていたけれど、良さがあったはず。
なんとなくそういう思いはあるけれど。
日本人がこうして自然に環境の中で身につけた、凛とした立ち居振る舞いというのがあったのだろうなって。
人を気遣う、思いやりというのも、こうした環境から養われた部分があるのだろうな。
そんなことを考えました。
もっと、日本家屋、和装、について、学んでみたいな、と思いました。
コメント